8代目 御菓子所まつ月店主
松井 友吉
江戸時代に創業して以来、永きにわたりお客様からご支持いただき今日まで歩むことができました。この場をお借りし改めて、心から厚く御礼申し上げます。
また、私どもに素晴らしい原材料や製菓道具をお届けいただける各分野の方々にも、感謝を申し上げます。
お菓子には「いろいろな願いや想い」が込められていますし、脈々と受け継いできた日本の文化が詰まっています。
そのような歴史を大切にしながらも、お菓子をお届けさせていただく上で最も大切なことは「お客様に楽しんでいただくこと」であり、それこそがお菓子の存在意義であると存じます。
お菓子に対する想いは店舗によって様々ですが、時代と共に生活スタイルが大きく変わり続ける中で、私は「歴史を守り後世に伝えること」と「新たな時代に向けて変わり続けること」の両立をしていけるように努力し続けることが老舗を継ぐ者の責任だと感じます。
お菓子を通じてお客様に、私の想いがお届けできたらこの上ない幸せと存じます。
・創業(安政2年)
「井桁屋」の屋号にて菓子製造業を開始
・明治前期
4代目・松井栄三郎は政治家を目指し、医師・政治家でもある後藤新平さんの書生となる。そのため、店舗は栄三郎の妻「くめ」が懸命に守り抜いた。その当時に製造していた品物は、せんべい、香煎、麦落雁(この製造道具は残っている)、小麦饅頭、しるこ、塩羊羹、東京式カステラ(当時は炭で焼いていた。このカステラは昭和30年頃まで製造していたもの)
味噌・米麴の製造販売、そして大根、牛蒡、人参、白菜などの種や苗も販売していた(昭和23年頃まで販売していた)。
当然、今のように原材料は豊富ではない。そのため「菓子屋」として菓子を販売していても、それだけでは食べていけない時代であったため上記のように菓子以外の物も販売して何とか生き延びてきた過去もある。
大正に入り公共交通機関が整備され、原材料など様々なものが入荷されるようになる。
・大正9年
尾張と三河を繋ぐ乗合バス(尾三バス)運行開始。一部材料が少しずつではあったが、この尾三バスにて運ばれた。
・大正10年頃
長野県根羽村-愛知県岡崎市間のバス運行開始。この時から岡崎市材木町から原材料が運ばれ、ほぼ定期的に様々なものが入荷し始める。
砂糖は貴重品なため簡単に手に入らない。当時「砂糖は販売実績のある所が最優先」であったため、当時の店主が地元にある同業者に対し「みんなで力を合わせて実績を作ろう」と働きかけ、何とか難局を乗り切った。
・昭和2年4月
5代目・幸三「飯田市」にて修行を重ねる
・昭和8年
柿羊羹ずくしを販売開始
・昭和9年
「井桁屋」から「松月堂」に改名
・昭和15年
名古屋-浜松間の鉄道弘済会の立売権利を取得
・昭和19年
呉海兵隊に入隊(戦争も激化し松月堂も営業できなくなる)
・昭和24年4月
砂糖配給制になり営業を再開
・昭和28年11月
高松宮様に献上・お買い上げいただく
・昭和36年
道路拡張のため移転
・昭和50年4月
新店舗オープン
・昭和58年12月
新工場建設
・昭和59年12月
「松月堂」から「御菓子所まつ月」に改名
・平成4年10月
大型設備の充実
・平成7年7月
新店舗へ移転
・令和4年
中国・北京へ出店予定
令和という新しい時代になり、まつ月も中国・北京への出店という新しい挑戦を始めました。
準備から約8年目。未知の世界での挑戦に戸惑う事も多くありますが、北京では当店の看板商品である和菓子と共に
日本が世界に誇る酢、塩、香辛料などを活かした新しいお菓子や食材も発信して参ります。
日本の文化や各地の歴史も同時に発信していけたら、と考えています。